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中学生のトレーニング

県の大会記録と県歴代7位(2005年3月現在)の記録を作ったトレーニング紹介します
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■はじめに

中学生になると、陸上部に入り、トレーニングは部活の先生が決めたメニューを行うことがほとんどでした。1年生から3年生まで一緒に練習をしていたので、メニューもほとんど同じでした。

中学生の競技としては800m、1500m、3000m、4k、5kという距離のものばかりです。このくらいの距離だと1500mの練習がそのまま、3000m、5kに活かすことが出来るので、出場する競技によって練習を変えるということはしていませんでした。さすがに800mとなると他とは違ったスピードが要求されるので、異なった練習を行わなければならなかったかもしれないのですが、僕自身1500mを主にやっていたので800mの練習というのは特別行っていませんでした。なので、このトレーニングが800mのトレーニングにつながるかは断言できませんm(__)m

中学校3年間で記録は順調に伸び続けたのですが、学校の頃、全国大会に出たこともあったので、どうしても全国大会に出場したいと考えていました。駅伝では県で1位のチームだけが全国大会に出場できるのですが、僕が中学校1年、2年の頃は県大会で2位、中学校3年の頃は部員が足りず他の部活から借りてきて17位という成績で、一度も出場することが出来ませんでした。

さらに、個人においても、中学校3年の頃は1500mでもう一歩のところまでいったのですが、残念なことに出場できませんでした。それが、今でも悔しいです。

中学生の頃は、学年により練習が違ったということはないので、中学生のトレーニングとしてまとめて紹介しようと思います。

その前に、各学年での主な試合結果の報告を行いたいと思います。


■中学校1年生の頃

小学校で全国大会に出場したこともあり、最初の頃、中学校2年生の先輩I君が少し僕のことを嫌がってたみたいです。「こいつにだけは負けん!」みたいな感じだったみたいです。でも、僕の入った陸上部は上下関係なんて全然なくて、先輩であってもタメ口でした。部活が終わった後、皆でバスケットやサッカーをしているうちにすぐに仲良くなることができました。I君は本当に面白い人で、よくうちに遊びに行ったりしてました。

中学校1年の頃は小学校の頃の貯金もあり、郡大会や県大会では優勝していました。夏の大会で県1位になり、近畿大会の出場権を獲得しました。

近畿大会では、小学校の全国大会で知り合いになった、Y君も参加していました。びっくりしました。Y君は全国大会では3位だったので、僕より速かったのですが、近畿大会ではさらに差がついていました。たった5ヶ月でこんなにも差がつくのかと愕然としました。その頃から、やっぱりもう一度全国大会に出場したいと思うようになりました。

そして、秋の1500mの大会で、県の大会記録を樹立しました。4分35秒でした。ジュニアオリンピックの参加標準記録には及ばず、出場はかないませんでした。

中学校では駅伝大会がありました。この駅伝大会で県1位になると、全国大会に出場することができます。当時、僕の中学校は県では結構強い学校だったので、全国大会も夢じゃないと僕は思っていました。
県の駅伝大会で最終区を任された僕は、間違いなく優勝のテープを切るのだと思っていました。
しかし、結果は2位でした。僕に襷がわたった時点で1位とはかなり差があったのですが、僕は自分のせいで負けたのだと思い、悔しくて涙を流してしまいました。女子の先輩に慰められましたが、女子は全国大会出場を決めていたので、あまり慰めにはならず、逆によりへこんでしまいました。
全国大会への想いはより強いものになりました。


■中学校2年生の頃

中学校2年生になると、中学校3年生と同じ部で出場しなければなりませんでした。なんで、中学校2年だけ、部門が分かれていないのか、意味がわかりませんでした。それでも、僕は近畿大会には出場できるだろうと思っていました。しかし、中学校3年生にはやはりかないませんでした。県大会で5位に終わってしまい、近畿大会の出場はなりませんでした。

そして、再び駅伝大会の時期。今年こそはと思っていましたが、I君がひざを痛めてしまい、急遽僕が1区を走ることになりました。1区は各校のエースが集う区間です。区間7位くらいだったと思います。1区という緊張もあり、普段の力を全く発揮することが出来ませんでした。結局、また2位に終わってしまいました。この時は1年の頃ほど悔しくはありませんでしたが、駅伝が終わり
学校に帰った後、皆でサッカーをすることになり、この時、ひざを痛めているはずのI君が元気にサッカーをやっていたのには驚きました。しかも3点も決める活躍ぶり。なんで走らんかったんやろ・・・今でも不思議です(笑)

県ではライバルがいないと調子に乗っていた僕にもライバルが出現しました。N君です。秋の3000mで負けてしまったのです。悔しかったけど、目標ができ、もっと頑張らなければと思いました。


■中学校3年生の頃

いよいよ中学校3年です。中学校1年から全国大会に出たいと思っていた僕にはもうチャンスはあまりありませんでした。当時、陸上の人気がなく、陸上部の部員も年々と減っていました。駅伝のメンバーを組むこともできなかったので、個人で全国大会を狙うしかないと思っていました。

かなり気合が入っていたので、同じ練習をする時でも、スピードをかなり上げて走っていました。

郡の大会記録も樹立し、県の大会記録も樹立しました。5月には4分15秒で走れるようになっていました。全国大会の参加標準記録が4分13秒を切ることだったので、後2秒縮めれば良かったのですが、この2秒が本当に遠かったです。
そして、7月の最後に行われた県大会。ここで4分13秒を切らないと全国への道は閉ざされてしまいます。
この日はかなり、暑くじっとしているだけでも体力が奪われていくような気温でした。日陰で体力を奪われないようにしていましたが、1500mが始まるまで4時間以上時間があったので、体力がなくなっていないか気が気ではありませんでした。


そして、いよいよ最後の挑戦。かなり力が入っているのが自分でもわかりました。ライバルのN君もいます。二人でけん制しあって、2周終わった時点でもう標準記録を切れるようなタイムではありませんでした。この時、僕の集中力は切れてしまいました。もう無理や。そう思ってしまってからはどう走ったか思い出せません。結局4分27秒かかってしまい、中学校2年の頃の自分のタイムにも及びませんでした。
全国への道は完全に閉ざされてしまいました。3年間、せっかく頑張ってきたのに・・・呆然としてしまいました。泣きたいって気持ちにすらなれませんでした。
立ち直るまでに3日かかりました。

それでも、近畿大会に出場することが決まっていたので、僕はこの借りは近畿大会で返そうと決意しました。
ある、暑い日、日射病にかかるんじゃないかってくらい暑い日でした。この日も昼間からスピード練習をするために一人で走りに出かけたのを覚えています。なんとしてでも、近畿大会で最高の走りをしたい。その強い思いがあったから、僕は練習せずにいられませんでした。

そして、近畿大会。僕より速い人は何人もいました。だからこそ、思い切って走ることができました。自分でペースを作らなくても前についていくだけ。それだけを目標に必死で走りました。
4分13秒。過去最高の走りができたと思います。全国大会には出場できなかったけど、本当に満足でした。この記録は現在県の歴代7位の記録です。(2005年3月現在)

この後、受験勉強もあり、部活には参加せずに個人的に練習をすることになりました。それでも駅伝大会には出ると心に決めていました。最後の駅伝はやっぱり1区を走りたいという想いがありました。
駅伝大会の2週間前の5キロの大会では16分12秒で走ることができたので、これならいけるかもって思っていました。

駅伝大会はメンバーが足りず、野球部から借りてくることになりました。県駅伝の前日。原因不明の蕁麻疹が全身に出てしまいました。熱も出てきて、明日は走れるのかっていう状態にまでなりました。1区を走りたかったけど、こんなんじゃ無理やと思った僕は6区を走ることを決めていました。
しかし、駅伝大会当日。母親は僕に1区を走って欲しいと思っていると、父親に聞かされました。まあ、どれほど母親が本気に思っていたかはわかりませんでしたが、それを聞いた僕は迷いはしましたが、最後の大会なので、1区を走ることを決意しました。
やはり、体調が良くなかったせいか、もうぼろぼろでした。区間17位くらいでした。もう自分のチームのことも考えれなくなりました。これで、本当に陸上が終わったんだ、と思うと涙がとまりませんでした。最後の大会で自分の思い通りの走りができなかったこと、1年の頃から目指していた全国大会に一度も出場できなかったこと、いろいろ思い出してしまいました。

全国の壁の高さ、厚さを痛感した3年間でした。


■トレーニング紹介

つらい思いもしましたが、嬉しい思いもしました。その僕の3年間の練習方法を紹介したいと思います。

中学生のトレーニング

3年間の練習方法とどうすれば、全国大会に出場できていたかを自分なりに考えてみました。




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