Home
独り言
>おじいちゃん、おばあちゃん
第10回 おじいちゃん、おばあちゃん




12月19日、夜、母親の父、僕のおじいちゃんが亡くなった。横浜に住む親戚から電話があり、すぐに和歌山に向かうことになった。

おじいちゃんは、眠っているようだった。口元が少し緩んでいて笑っているようにも見えた。もっと、会いに来てあげれば良かったと思った。会いにいってもあんまり話もしなかったし。

昔のことを思い出した。おばあちゃんには花札をやってもらったり、孫の手を使ってゴルフみたいなことをやってもらったりと記憶はあるけど、おじいちゃんのことはあまり覚えていない。普段はあまり家にいなかったと思う。妹はおばあちゃんによく「おじいちゃんはどこに行ったん?」って聞いてたらしい。でも、母親に聞くと僕はよくおじいちゃんに単車に乗せてもらってミニカーを買いにつれていってもらっていたそうだ。それで、思い出したことがある。小学校2年生の頃、どうしても欲しかったトランスフォーマーのおもちゃをおじいちゃんにねだったことがある。自分一人だけ欲しいっていうのはなんとなく気が引けたから妹にも「お前はなんか欲しいもんある?このせんせい(なんかペンで書いて何度も消せるボード)っていいちゃうん?」って欲しいものを見つけさせて、一緒に頼んでもらった。おじいちゃんは「よっしゃ、じゃあいまから買いに行こう」とすぐ、単車で買いに行ってくれた。だから、僕が欲しがったものは何でも買ってくれてたんやと思う。

おばあちゃんが死んだ頃、おじいちゃんに「これからもおじいちゃんのうちに泊まりに来る」って約束したのに、それから一度も泊まりに行かなかったのはほんまに悪い事をしたと思う。一人になって、しかもあまり歩けなくなってしまい、家で寝ていることのなったおじいちゃんは毎日何をかんがえていたんやろうか。ほとんど会いにこない僕のことをたまに考えたりしてたんやろうか。

あんまり話しなかったから、僕のことをどう思ってたかはしらんかった。でも、ホームページを見てくれて、僕の書いた自分史を見て涙を流したそうだ。おじいちゃんの中にも僕が思い出として残っていて、二人で思い出を共有できていたんや、あんまり話はしたことはなかったけど、それでも共有できるものがあるのだと僕は思い、嬉しかった。

おじいちゃんは、妹や僕のことを知り合いに自慢していたらしい。こんな僕でもおじいちゃんには自慢できる孫なんやと思うと、僕が思っている以上におじいちゃんは僕のことを想っていてくれてたんやと思う。死んでしまった人のことを生きている人が覚えておくことはできる。でも、死んでいく人が生きている人を覚えておくことができるんやろうか。でも、おじいちゃんの中には僕が残ってるはずやと思う。それが天国でおばあちゃんと出会う目印になってればなと勝手に思っている。

和歌山に帰ってきて、父親のおじいちゃん、おばあちゃんにも会った。父親のおじいちゃん、おばあちゃんは今も元気だ。おじいちゃんは最近手術を2回もしたと和歌山に帰って初めて聞いた。僕らに心配をかけないために親が言わなかったみたい。それでも、手術をしたことを感じさせないくらい元気やったから安心した。

おじいちゃん、おばあちゃんは僕らが東京に住むようになってから二回東京にも遊びに来てくれた。おじいちゃんは歩くのは少しつらかったみたいやけど、それでも二人とも一緒にご飯を食べに行った場所を今でも覚えていてまた行きたいと行ってくれている。

おじいちゃんは、昔、機関車の運転士をしていた。僕が小さい頃、電車に一緒に乗ったことを覚えている。僕はその時なぜかすねてたけど・・・。

小学校の頃、自由研究でいすを作ることになったときおじいちゃんに手伝ってもらった。というか、全部つくってもらい、僕はニスをぬるのを少し手伝っただけ。それぐらい、おじいちゃんは器用だ。小学校の頃、楽しみだったのがおじいちゃんのうちでやるたこ焼き。ここでもおじいちゃんの器用さが出ていて、ほんま店で売ってるんちゃうかってくらいきれいなたこ焼きを作ってくれた。自転車がパンクした時にも直してもらったし。おじいちゃんは、何でも屋に見えた。いろいろなものに興味を持っていて、昔からビデオカメラも持っていた。このビデオには小さい頃の僕が映っていてこれをみると本当に懐かしい。よくココまで成長できたもんやと思う。おじいちゃんは「けんちゃん、けんちゃん」とビデオの中で何度も僕に呼びかけていた。それにたいして反応もしない僕。ちょっとぐらい笑えよって自分にいいたくなる。挙句の果てにだんご虫を口に入れてしまい泣き出す始末。ビデオはそこで終了している。その他にも、運動会や旅行のビデオも撮ってくれている。ほんま行事があると必ず見にきてくれていたと思う。ビデオという形としてそれが残っているのは嬉しい。

おばあちゃんはほんまに若い。最近は織田裕〇にはまっていて、織〇裕二と行くハワイツアーみたいなのにも参加してきたみたい。ほんまパワフルやと思う。そのハワイで出会ったファンの人と友だちになり、今でも連絡をとっているみたい。連絡手段はもちろん、携帯。しかも、高齢者向けの携帯なんて使わない。カメラつきのいろんな機能がついた携帯。顔文字、絵文字なんて当たり前。最近はもっと新しい携帯を買おうか検討中。

おばあちゃんは誰とでも、どんな年代の人とでもすぐに仲良くなれる。それが若さの秘訣なのかもしれない。おばあちゃんは東京に来た時もかなり歩いたけど全然疲れていなかったみたいやった。いつか東京ディズニーランドにも行きたいといっていたので連れて行ってあげたい。
おばあちゃんもかなり器用だ。年賀状は版画で作っている。それに料理がうまい。高校の頃はよく弁当を作ってもらってたけど、弁当に入っている卵焼きがほんまきれいでおいしかった。

そんなおじいちゃん、おばあちゃんは、去年金婚式を迎えた。いろいろ言い合いをしたりもしてるけど、それも仲の良い証拠なんやと思う。二人で旅行にでかけることも多いし、ほんま、ああいうじいちゃんに僕もなりたいと思う。その時に作った色紙をビニールに入れ、大切そうに、うちに飾ってくれていた。おじいちゃん、おばあちゃんのうちには僕や親戚の写真がたくさん飾られていて、まあ自分で見るのは恥かしいけど、でもそこまで想ってくれているのは本当に嬉しいことやと思う。

二人にはいつまでも健康でいてもらいたい。僕もそんなに和歌山に帰ってこれるわけではないけど、かえって来た時にはできるだけ会いにいこうと思う。

おじいちゃんの死を通して、思ったことを書いてみた。

Copyright(C)2004−2005 HiraKen All rights reserved.
Back

Home